人生の交差点

人生の交差点 1・ 信長 この世に生まれた人間は、皆自分の意志に従って目の前に無数に表れる交差点を自由自在に進んでいく…。そして最後に「是非に及ばず」と死に到着するのである。 歴史上の人物で日本人に一番の人気者は信長であり、信長は「是非に及ばず…

異文化経営の困難

異文化経営の困難 一九九〇 年、当時バブルの真只中「日本は資源のない小さな島国。貿易立国日本を支えるため、海外で身を粉にして働きたい !」の一念で、海外に飛び出した。最初に赴任したのがタイで、五年間駐在。その後日本に二年弱戻った後、シンガポー…

巻頭言

巻頭言 人生はドラマである。 人間の人生はそれぞれ違う。 そのように考えるとこの世の中には、人間の数だけ素晴らしいドラマが展開しているはずなのである。 『えん』はその自分だけの大切なドラマを堀りおこして、読者の前に提示するのだ。 それは何をする…

横笛物語

横笛物語 むかし、平安時代の終わりの頃でありました。建礼門院ご在世の頃で平家全盛のころでありました。 横笛という侍女がいました。彼女の容姿は美しく愛らしくて、霧に薫る花のように、風に乱れる柳のようにしなやかで中天に静まる月のような気高さをも…

短歌

短歌 続行こそバカと利口の分かれ道 我が夢高く秋空高く 現在を過去にこだわり台無しだ 過去捨て去りて未来に生きる しわの数オオそれ見よだ年の数 生きてる限り増え続けるね 年取れば忘れることも平気なり ドジも間抜けも笑い話に 四つ足で這い這いすれば転…

『えん』ありがとう      放浪記  

『えん』ありがとう 放浪記 みつたけ 弘美 さ わ き 喜久子 ひろみ 秋です 人間世界を目指して 赤ちゃんが来ました オギャアオギャアと 赤ちゃんが来ました 春が来ました ツバメが大軍をなし 日本を目指して 飛んできました 春生まれたひろみ 秋生まれのひろ…

老窓狂歌(一)全作品

老窓狂歌(一)全作品 書くことは生き残るロマンなり へたでもともとバカ言っても良し 友達はいくつになっても心に染む 老窓の友ありがたかりし アハハハハ周りが笑えばアハハハハ 幸せそうに笑えば楽し 亡き人を偲ぶ心は砂上の恋 胸の内にてそっと抱きしめ 人…

黒田官兵衛(黒田如(じょ)水(すい))

黒田官兵衛(黒田如(じょ)水(すい)) 『さてさて天の加護を得させ給ひ、 もはや御心のままに成たり』 これは1582年に本能寺で信長が討たれたという知らせをうけたとき、黒田官兵衛が秀吉に対して発した言葉である。 本能寺の変を知った官兵衛はすぐに備中…

「水の一滴、血の一滴」を読んで

「水の一滴、血の一滴」 を読んで この作品は、深澤忠利氏のさる機関への応募作品で、246ページにわたる大作である。 この小説は戦争の真っただ中において水の一滴がいかに大切かと言うことを主人公中野が生きるか死ぬかの緊迫した苦しい体験の中で、主人…

信長と家康

信長と家康 松平竹千代は天文11年12月26日、松平家8代目岡崎城当主松平広忠の長男として誕生した。 松平竹千代の生涯は子沢山で、11男5女をもうけている。 元和2年4月17日没。 享年、75歳であった。 ちなみに夢半ばで亡くなった信長は49歳…

島津義久

島津義久 (1)黎明期 天文 4年7月23日(1535年8月21日)、島津貴久の次男として生まれた。はじめ忠平と称したが、後に室町幕府15代将軍・足利義昭から偏諱を賜って義(よし)珍(たか)と改め、さらに義弘と改めた。 天文23年(1554年)、…

歴史小噺とゲーテの知恵

歴史小噺とゲーテの知恵 人間は自らが愛する者によって、形づくられる 【ゲーテの知恵】 鳥居元忠は徳川家康幼少のころからの忠臣であった。元忠は頑固で融通の利かない一徹物であったが、思いやりのある優しさもあった。 武田家の滅亡後、武田家重臣であっ…

日本人物歴史物語4

日本人物歴史物語4 ー 教科書に出てくる歴史人物物語ー 《南北朝時代》 1324年(正中の変)後醍醐天皇 幕府を打つが失敗。 1331年(元弘の乱)再び後醍醐天皇、同じ計画で失敗。 後醍醐天皇隠岐に流される。 1332年 後醍醐天皇、隠岐を脱出。 …

日本人物歴史物語3

日本人物歴史物語3 ー 教科書に出てくる歴史人物物語ー 《南北朝時代》 1324年(正中の変)後醍醐天皇 幕府を打つが失敗。 1331年(元弘の乱)再び後醍醐天皇、同じ計画で失敗。 後醍醐天皇隠岐に流される。 1332年 後醍醐天皇、隠岐を脱出。 …