黒田官兵衛(黒田如(じょ)水(すい))

黒田官兵衛(黒田如(じょ)水(すい))

               

『さてさて天の加護を得させ給ひ、 もはや御心のままに成たり』

これは1582年に本能寺で信長が討たれたという知らせをうけたとき、黒田官兵衛が秀吉に対して発した言葉である。

本能寺の変を知った官兵衛はすぐに備中高松城の戦いを毛利氏と和睦する形で終わらせ、秀吉全軍を京都へ大移動させた。

このとき官兵衛はいち早く明智光秀を討つため、途中で中国攻めの拠点・姫路城への立ち寄りをしないよう秀吉へ進言し、その手筈を整えたことで姫路城へ寄ることなく明智討伐へ向かったという。

明智光秀による本能寺の変で、信長が亡くなったことを、秀吉に直ちに通報し、

筑前(秀吉)どの。今こそ天下を取る機会です」

と、官兵衛が秀吉を焚きつけた。

秀吉を援助するために、毛利輝元と和睦して中国大返しを成功させたのはほかならぬ官兵衛であった。

三法師擁立の清洲会議後には秀吉に従って柴田勝家を破った。

また、毛利輝元宇喜多直家の和平交渉を成功させ、実質的に秀吉の臣下に加えるなど外交面でも手腕を発揮し、秀吉を大きく助けた。

その後、四国平定後に高山右近蒲生氏郷らの勧めによってキリスト教に入信し、島津義久を降伏させた九州平定でも活躍するなどして、秀吉の天下統一に大きく尽力したのであった。

 その後、後藤又兵衛も家臣に加わり、1大名の家老から、九州の中津城12万石を拝領する出世を果たしたが、この黒田官兵衛の才知を高く評価していた秀吉も、彼の実力を次第に恐れるようになる。

そんな、秀吉の心情をいち早く察知した黒田官兵衛は、バテレン追放令が出ると高山右近らとは異なり、すぐさまキリスト教を棄教し、自分には野望がないと示すため、我が息子黒田長政家督を譲って隠居しようとするが、秀吉も抜群に役に立つ官兵衛を手放す決心がつかず、結果的に隠居は許されず、大阪城の近くに屋敷を与えられ、引き続き秀吉の側で采配を振るった。

茶の湯が盛んであった秀吉の時代に、官兵衛は一人これを嫌い「勇士の好むべきものではない。主客が無刀で狭い席に集まり座っており、きわめて無用心だ」と度々言っていた。

 

けれどもあるとき、秀吉が官兵衛を茶室に招いて合戦の密談をしたのち、

「こういう密談が茶の湯の一徳なのだ。何でもない普通の日にそなたを招いて密談をすれば、人々に疑いを生ぜしめ、禍を招くことにもなる。ここならば例の茶の湯ということで人は疑いを生じることはない」

と言った。

官兵衛は秀吉の言葉に感服して、

「拙者は今日はじめて茶の味のすばらしさを飲み覚えました。名将が一途に物にのめり込むことなく心を配っておられる点は愚慮の及ばぬところです」

と言い、官兵衛も茶の湯を好むようになったという。

 

しかし、官兵衛は秀吉の天下の治め方では二代は続かないことを論じ、次には家康の時代がやってくることを予言したのだった。

その結果次の小田原攻めでは、小田原城の開城交渉を行い、敵ながら官兵衛の人柄に惚れ込んだ北条氏直は、家宝を官兵衛に授けた。

その北条家伝統の家宝は今も博物館に現存する。

やがて豊臣秀吉が亡くなり、前田利家も死去すると、官兵衛はすかさず天下の実力者は家康と見て家康に接近し、石田三成と敵対する。 

関ヶ原の戦い直前には、大名の妻子を人質に取ろうとし、細川ガラシャが自害するという事件も起こしますが、官兵衛正室・光姫と、黒田長政正室・栄姫は栗山善助母里太兵衛らの策で脱出させる事に成功する。

関ケ原の戦いでは、官兵衛の息子黒田長政が黒田勢を率いて、関が原の戦いに挑んだ。関ケ原は、日本という国の支配者を決める戦いであった。

官兵衛は「家康殿のほうが、平和な日本を作ってくれるに違いない」と思った。  

官兵衛の果敢な働きを目にした結果、家康から「一番の功労者は官兵衛なり」

と、称せられて大いに面目を施した。
 官兵衛は九州・中津城にいたとき、手薄となっている九州の敵を攻略する好機と、蓄えていたお金をすべて使い、浪人や領内の百姓など兵士として雇いいれた。
 すぐさま1万人が集まると、その即席軍を指揮し、たった約2か月で加藤清正らと共に九州一円を制覇した。しかし、家康の停戦命令を受けると素直に従い、九州の諸州の諸城を一つ残らず家康に差し出した。
 官兵衛が力を付けることを警戒した家康は、黒田長政への福岡52万石の恩賞のみに留めた。以後官兵衛は太宰府天満宮内に草庵を構えさえ、隠居生活を送らせた。雅号は如水。

 官兵衛は頭が良すぎて、弁舌がさわやか。常に群を抜いていた。しかし官兵衛がその才をひけらかすので、他にも利用はされた。信長からも秀吉からも家康からも警戒された存在であった。

最後に官兵衛のことわざ一つ

 

『乱世に文を捨てる人は滅びる』

 

「ええか?

たとえ侍でも戦うばっかりやのーて、本を読まなアカンぞ。

本を読まへん人間は、理屈がワカランさかいに、ちゃんとしたルール(法律とか)を決められへんで、私利私欲でルールを決めてしまう……そんなことしたら、家臣や国民に恨みを買うだけで、そんなヤツの治める国は、結局は滅びるんや。

 

おっと……本を読むっちゅーても、単に数をよーけ読むっちゅーことやないで。

もちろん、故事を覚えたり、字を覚えたり、詩を書けたり、なんていう知識を詰め込む事でもない。その真意を読み解くっちゅーこっちゃ」。

 

 官兵衛の言葉はわれわれに響きわたる。

                おわり