横笛物語
横笛物語
むかし、平安時代の終わりの頃でありました。建礼門院ご在世の頃で平家全盛のころでありました。
横笛という侍女がいました。彼女の容姿は美しく愛らしくて、霧に薫る花のように、風に乱れる柳のようにしなやかで中天に静まる月のような気高さをもっていました。
当時都に三条の斎藤滝口時頼という華やかな男性がいた。
ある時彼はお使いで建礼門院の御所に参上した。土間の長廊下にたたずみ、お返事を待っていた。
滝口は返事を持ってきた横笛を見て、他のどの姫君にもまさっていると、一度ですっかり恋焦がれてしまった。
滝口はお使いを済ませたあと引き続いて恋の言葉を横笛にかけた。
ー秋の田を借り始める、
わたしはとてもおいしいしそのかりそめという言葉に通ずる、つまらぬ武士の身の上だが、わたしはあなたと共寝をして、
その枕を見たいと願っています。-
と、とそのお手紙を渡された横笛。
横笛はぽっと紅く頬を染めて、滝口の手紙を受け取ってお取次ぎをした。
滝口は御所に帰ってから、心はすっかり上の空。寝もせず、起きもできず、
横笛を見初めたあの時の心と今の心と、どちらが夢とも判別できず。寝ても覚めてもただ横笛を心のうちに描きつづけているのでした。
ある時、乳母が滝口の枕元にお付き添いになり、
「私なりとも、お心の内をすっかりお話しくださいませ、そのようにただ事でないお悩みを拝見しておりますと、私まで苦しくなってしまいます」
といいます。
滝口はつい心を許しておっしゃるには、
「何時ぞや、建礼門院様の御所にご参上したとき、横笛という女人が桜の花の薄着にくれないの袴をつけて出てこられた方ですね」
横笛の美しさは、かの楊貴妃にも勝っている様に、滝口には思われた。
乳母は滝口の説明を聞いて、
「彼女に伝えておきましょう。」
といった。
乳母の話を聞いて、横笛は、
「あなた様を初めて見もうしあげてから。
わたくしも耐え難く思っていましたが。お手紙の相手をお間違えになったのではありませんか。」
「うずみ火のように心中ひそかに私を焦がれておられると聞くにつれ、その恋の火があっけなく消えた後、顧りみられなくなるのではないかと悲しく思います。」
とお書きになり、恥ずかし気にお渡しになった。
これを見て滝口の嬉しさはたとえようもないのであった。
その後たびたび手紙が交わされて、逢う機会も多い中となったのであった。
小笹の中の一節というあわただしい伏せ寝であってもこっそり男が通う時もあり楽しい毎日であった。
そうこうするうちに二人の仲を男の父親の知るところとなり。息子に立派な位の女との結婚を望んでいた父親は、すぐに女を実家に送り返してしまえと息子を諫めたのですが。息子は聞き入れません。
「そんな風に私の言うことをお聞きにならないのなら、お前を勘当してしまおう」
と勘当を伝える使者をおつかわしになったのでした。
滝口は親の命令に背くことも罪深いことだと思いましたが、愛する女の心を無にすることは痛ましいことと思いながら、名残惜しい気持ちを押さえながら、このことを少しでも知ったら彼女はどんなに悲しむだろうと思うのでした。
しかし滝口は流れ出る涙をじっとこらえながら、まだ夜深い千夜を一夜と感じ取ろうと滝口は、横笛をしっかり抱きしめるのでした。
それが最後の滝口と横笛のおおせであった。
男が遠のくと、その後の横笛は今日もむなしく男を待ち、明日もむなしく男を待ちかねて、日が暮れると門前に出ていき、老けていく門前で,更け行く月ととともに、すごすごと独り夜を過ごすという怨みも重なる毎日でした。
寂しくて無残な毎日に耐えかねる横笛でした。
「それにしても滝口様は無情にも、どうしてわたくしをお見捨てなさるのでしょう」
「溝口様がこれほどつめたくて、わたくしはどのように生きていけるのでしょうか」
横笛が今を最後と泣く声が聞こえます.
「どうか西方の如来様、満たされぬまま別れた滝口さまと同じ蓮の花の上にお迎えくださいますように」
と、横笛は祈りながら、川底に投身自殺を遂げたのでした。
それをみとめた川の対岸の人々は、大声で止めたのですが、対岸に声は届かず。ましてや手も届かず、騒ぎばかりが大きくなって、滝口のこもっている暗室までも聞こえてきました。
溝口も外に出て、
仲間とみんなで気の毒なことよなあと、他人事のように話し合ったことであった。
おしまい