日本人物歴史物語3
日本人物歴史物語3
ー 教科書に出てくる歴史人物物語ー
《南北朝時代》
幕府を打つが失敗。
1334年 後醍醐天皇による肩部の申請が
始まる。
を願い出る
朝廷は逆に新田義貞に命じて足
利尊氏を打つことを命じる。
1336年 足利尊氏京都を逃れて九州へ。
足利尊氏九州から京都に攻める。
楠木正成戦死。
尊氏京都で新しい政治を始める。
《室町時代》
……………………
涙の戦乱謳歌
足利高氏(尊氏)は、庭にたたずみ遠くの山並みを見つめていた。
父が愛した豊かな農村の風景がすっぽりと高氏を包んで離さず、父を亡くした悲しみの心を徐々に癒してくれていた。
父が亡くなったのは昨日であった。しかし、もうずっと昔に亡くなったような虚無感を高氏に与えていた。
父貞氏は栃木県足利の荘の領主で足利殿とよばれて地域の農民にまで敬われていた。
「兄上、ここにおられましたか。」
高氏は弟の直義の声を聞くと、慌てて涙をぬぐった。
「ここから見る風景は、幼い頃からどんな時でも、心が癒されるのだよ」
「兄さんもそうでしたか。私もこののどかな風景を見ているとご褒美を頂いたような嬉しい気もちになるのですよ」
「ほう、これは二人にとって、素晴らしい景色なのじゃのう」
「いろいろな思い出が詰まっていて、手繰り寄せられるようでのう」
「はや馬がきていたのではないか」
「鎌倉からの使者でございました」
「何じゃ。また出陣の命令か」
「はい」
「もう出陣は嫌じゃ。ぶち壊しじゃ」
「兄上としてはお気の弱いことを」
(正中の変)(元弘の乱)以来の鎌倉の足利幕府と京都の険悪な事情をよく知っている弟は言葉を濁した。
「戦いを望まねば生きてはいけぬか」
高氏は今故郷を出ればすっぱりと父も故郷も忘れねばならぬと考えていた。
高氏はせめて父の四十九日までは出陣を伸ばしたかった。
しかし、出陣を伸ばせば幕府は高氏に疑いの目を向けるに違いなかった。
高氏は疑われたくなかった。父の夢を果たしたかった。
父は死ぬ前に、高氏・直義兄弟を前に、
「二人ともよく聞け、足利の家は、〝必ずや、天下を取る〟という、言い伝えがある。わしは八幡大菩薩にわしの命をちぢめて、今から三代のうちに天下を取ることを、お約束ください。」
と言って八幡大菩薩とお約束した。
そして、お腹を召されたということだ。
「これはきつい遺言じゃ。もう高氏などなくなってしまったわ。今からは尊氏じゃ」
後醍醐天皇の幕府を倒す計画は、正中の変でも元弘の乱でも失敗していた。後醍醐天皇はその地位から降ろされ、幕府によって光厳天皇が天皇にたてられた。